6月に入り、自宅に住民税の…
もうひとつの『硫黄島からの手紙』
渡辺謙さん主演、嵐の二宮和也さんも出演されていた『硫黄島からの手紙』という映画。
私は恥ずかしながら、今年2015年4月に安倍晋三首相が行ったアメリカ議会での演説での一幕、硫黄島の戦いに23歳で参加したローレンス・スノーデン元米海兵隊中将と硫黄島守備隊司令官だった栗林忠道陸軍大将の孫・新藤義孝前総務相が傍聴席に並んで座っている姿が紹介されるのを目にしたのがきっかけとなるまで、鑑賞したことはありませんでした。
2006年に東京都小笠原諸島硫黄島で発見された、数百通もの手紙。
それは、61年前にこの島で戦った方々が家族に宛てて書き残したものでした。
第二次世界大戦、日本にとっては大東亜戦争(戦後、GHQによって太平洋戦争と名称変更させられた)の戦況が悪化の一途をたどった1945年2月19日、ついにアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始します。5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にも及ぶ歴史的な激戦となりました。
日本本土、しかも本丸である東京に近い硫黄島は、攻略されると日本本土を攻撃するための拠点とされてしまうため、日本を防衛するためにはとても重要な島でした。
少しでもアメリカ軍を手こずらせ、戦いを長引かせようと命を懸けて戦われた方々がいたことに、こういった方々のおかげで今の平和で安全な日本があるのだと心が震えました。
日本本土が早々と攻略されてしまっていたら、もしくは条約やその類いの物を何も引き出せずに早々と降伏していたら、日本なんて国はそこで消滅していたかもしれないのですから。
もちろん、映画ですのでフィクションもまぜられているでしょうから、実際の硫黄島の戦いについて知りたくなり調べる中で、家族宛ではない、もうひとつの硫黄島からの手紙の存在を知りました。
それは、映画にも少し登場する市丸中将(海軍少将でしたが戦死により中将へ特進)という方の、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた手紙です。
もちろんご存知の方も大勢いらっしゃる有名な手紙でしょうが、またも恥ずかしながら、私にとっては学校の授業では出会った憶えの無いものでした。
そこには、この大東亜戦争を日本がどんな想いで戦っているか、大東亜戦争が日本にとってどんな戦いであるかが鬼気迫る状況だからこそストレートに、明確に書き記されており、こんな文章があったこと、そしてそれを知らなかったということに衝撃を受けました。
この手紙は日英両文で書かれ(英翻訳はハワイ生まれの三上弘文兵曹が担当)、1945年3月26日、第二飛行場を攻撃した日本兵の遺体から発見されたそう。
それを従軍記者のエメット・クロージャーが本国に打電し、当局による検閲を経た後、1945年7月11日に米国で新聞報道されました。
しかし、ルーズベルト大統領は1945年4月12日に死去しており、ルーズベルト大統領の手には渡らなかったものと思われます。
この原文・英文は芋太郎の広場というサイトの対訳 ルーズベルトへの手紙というページで紹介されています。
以下は、正しい日本の歴史というサイトのルーズベルトへの手紙という記事より、その手紙の内容の引用です。
『ルーズベルトニ与フル書』(現代語訳)
日本海軍市丸海軍少将が 「フランクリン ・ルーズベルト」 君に書を宛てる。
私は今、我が戦いを終えるに当たり一言貴方に告げることがある。
日本国が 「ペルリー(ペリー)」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶようになった時より約百年の間、国の歩みは困難を極め、自ら欲しないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次欧州大戦(第一次世界大戦)、満州事変、支那事変を経て、不幸にも貴国と交戦することになった。 そして貴方は我々を、あるいは好戦的国民であるとし、あるいは黄禍論を用い貶め、あるいは軍閥の独断専行であるとする。
思いよらぬもの甚だしいと言わざるを得ない。 貴方は真珠湾攻撃の不意打ちを理由に対日戦争(大東亜戦争) 唯一の宣伝資料とするが、そもそもにおいて日本国が自滅を免れるためこの行動に出る他ないという程の窮地にまで追い詰めたような諸種の情勢というのは、貴方の最も熟知するものであると思う。
畏れ多くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養成(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三鋼(秩序)とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)の文字によって表される皇謨に基づき、地球上のあらゆる人間はその分に従い、その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願になさったのに他ならない。
これは 「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか) という明治天皇の御製(天皇の詩)は貴方の叔父セオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したものであるが故に、貴方もよく熟知しているのは事実であろう。
私たち日本人はそれぞれ階級を持ち、また各種の職業に従事するけれども、結局はその職を通じ皇謨、つまりは天業(天皇の事業)を翼賛(補佐)しようとするのに他ならない。
我ら軍人は交戦を以て天業を広めることを承るに他ならない。
我らは今、物量に頼った貴方の空軍の爆撃、艦隊の射撃の下、外形的に後ろへ退くもやむなきに至っているが、精神的にはついに豊かになり、心地ますます明朗になり、歓喜を抑えることができなくもある。
この天業翼賛の信念が燃えるのは、日本国民共通の心理であるが、貴方やチャーチル君は理解に苦しむところであろう。
今、ここに貴方達の精神的貧弱さを憐れみ、以下の一言を以て少しでも悔いることがあれば良いと思う。
貴方達のなすことを見れば、白人、とくにアングロサクソン(アメリカとイギリスの主な民族)が世界の利益を独占しようとして、有色人種をその野望実現のための奴隷として扱おうということに他ならない。
この為に邪な政策をとり有色人種を欺き、所謂悪意の善政を行うことで彼らを喪心無力化しようとしている。
近世に至り日本国が貴方達の野望に抗し有色人種、特に東洋民族を貴方達の束縛より解放しようと試みたところ、貴方達は少しも日本の真意を理解しようと努めることなくただ貴方達に有害な存在となし、かつて友邦とみなしていたにも関わらず仇敵野蛮人であるとし、公然として日本人種の絶滅を叫ぶに至った。 これは決して神意にかなうものではないだろう。
大東亜戦争によって所謂(いわゆる)大東亜共栄圏が成立し、所在する各民族はわれらの善政を謳歌しているから、貴方達がこれを破壊することが無ければ、全世界にわたる恒久的平和の招来は決して遠くは無いだろう。 貴方達はすでに成した。 十分な繁栄にも満足することはなく数百年来にわたるあなた方の搾取から免れようとするこれらの憐れむべき人類の希望の芽をどうして若葉のうちに摘み取ろうとするのか。
ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。
あなた方はどうしてこのように貪欲で狭量なのか。
大東亜共栄圏の存在は少しも貴方達の存在を脅威するものではない。 むしろ世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものであって、日本天皇の真意はまったくこれに他ならない。 このことを理解する雅量(器)があることを希望してやまないものである。
翻って欧州の事情を観察すると、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛感し嘆かざるをえない。 今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次世界大戦開戦の原因が第一次世界大戦の終結の際、その開戦責任の一切を敗戦国ドイツに押し付け、その正当な存在を極度に圧迫しようとした貴方達の処置に対する反発に他ならないということは看過できない。
貴方達の善戦によって力を尽くしてヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリン率いるソヴィエト(※共産主義:著者注)と協調するのか。 世界を強者が独専しようとすれば永久に闘争を繰り返し、ついに世界人類に安寧幸福の日はないだろう。
あなた方は今世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方は得意げに思っているに違いない。 しかし貴方達の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。
願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないで欲しい。
市丸海軍少将
( 『米国大統領への手紙』 平川祐弘 新潮社より引用 )
米国大統領への手紙市丸利之助伝 (肥前佐賀文庫) [ 平川祐弘 ]
手紙の中に出てくる「八紘一宇」という言葉。
今年2015年3月の予算委員会にて、三原じゅん子参院議員が用いて物議をかもした言葉です。
なぜ問題になったかというと、大戦時に日本の侵略行為を正当化するための標語として使用されていたからであると同時に、発言時の文脈で必ずしも用いるべき必要があったか、ということからですが。
この言葉は本来、軍国主義が台頭するより遥か昔、『日本書紀』に由来するものです。
「八紘」とは「天地の八方の隅」すなわち「全世界」を意味し、「宇」は「家」を指す語で、漢和辞典では「八紘一宇」は「世界を一つの家にする」というのが原義であるとされています。
引用元でも、『天下を一つの屋根の下に』と解説がつけられています。
つまり、日本がトップとなって世界を治めよう、という帝国主義的考えに当てはまるとされたわけです。
ですが私は、この「八紘一宇」という言葉を見るに、日本人として、そんな大それた意義は感じ取れないのです。
もし「世界を一つに」、つまり「全世界を日本にしよう」という意思のもと侵略行為をしていたならば、「一宇」だけでその意味として事足りるのです。「世界一宇」であるとか。
しかし、そこを何故「八紘」したのでしょうか。
「八」は、日本において縁起の良い数字であると同時に、「八百万(やおよろず)の神」というように「たくさん」に繋がる数字でもあります。
それぞれ独立した「家」の集合体として日本という「国」が存在するように、ヨーロッパ諸国やアメリカと対等になるべく、たくさんの独立した「国」の集合体として現在のEUアジア版のような大東亜共栄圏を目指したからこその「八紘一宇」だったのではないでしょうか。
日本のした侵略行為は、欧米によってすでに植民地支配されていた国々に対して行われました。
その国々というより、その国々を支配していた国に対しての侵略を行っていたわけです。
つまり日本は「一宇」になろうとしたのではなく、「八紘」の一員として「一宇」を築いていこうとしたのではないか、と。
少しでも多く「八紘」の一員を増やしたかったのではないか、と。
もちろんこれは私個人の勝手な解釈なので、都合よく捉え過ぎと指摘されるようなものですが。
違いを違いと認めて、個性を尊重し尊敬し、協力してひとつとなる。
この考えは、平和の基本ではないでしょうか。
ヨーロッパ諸国にも、アメリカにも、それぞれの正義があるでしょう。
連合軍側が勝ったので、連合軍側の正義が正しかったとなり、日本、ドイツ、イタリアなど枢軸国の正義は悪とされました。
もちろん、日本の行為が全て正しかったとは思いません。
八紘一宇を正義として戦いつつも、日本を守るための砦として侵略を進めていた面もあるでしょうし、大東亜共栄圏という考え方すら日本の独りよがりだったという見方もあるでしょう。
その中で、罪の無い人々を巻き添えにしてしまったことも、もちろんあったでしょうし、たくさんの自国民を犠牲にしましたし、やはり戦中といえど敵国の軍人であれ人の命を奪ったことには変わりありませんし、それが戦争というものだったとしても、もし日本が戦争に勝っていたとしても、正当化していいものではないと思います。
ですが、それと同じように、奴隷支配による植民地支配を行っていたヨーロッパ諸国、度重なる本土空襲や沖縄での上陸戦、そして2発もの原爆によるあからさまに民間人を標的とした攻撃を行ったアメリカ、連合国側が行っていた行為は、悪ではないのでしょうか。
枢軸国が謝罪し償うだけで、世界は平和になるのでしょうか。
先の大戦から70年も経過した今、「それが戦争」と片付ける時代は過ぎたのだと思います。
インターネットが普及し、歴史的資料や史実を気軽に広めたり知ったりできるようになった現在では、誰でも自由に、モラルによって善悪を見極められる環境が整ってきました。
本土攻撃をされるまで追いつめられた日本人としては、「戦争」と聞くとどうしても、空襲、徴兵、民間人が亡くなる、というイメージが強く、「とにかく反対!」となってしまう気持ちはよくわかります。
しかし、「戦争とはなんなのか」「なぜ戦争が起きるのか」など、戦争になってしまった理由に目を向けて考えることこそが、戦争回避、そして平和への道ではないでしょうか。
立場なんて、その時の状況によって簡単に変わります。
未来の平和のため過去に学ぶべきは、「誰が悪かったか」ではなく「何が悪かったか」です。
戦後70年の節目に安保法案で揺れる日本。
一国の憲法が、他国にどこまで尊重してもらえるのか。
防衛とは、集団的自衛権とは何なのか。
原爆を落とされた国として、国内だけではなく世界に向けて国際平和を訴えていく、国際平和に貢献していく現実的な方法はなんなのか。
世界の文化や史実とともに、そういったことを一日本人として学び考え、行動していかなければと思う、8月15日です。
参考:対訳 ルーズベルトへの手紙/ルーズベルトへの手紙(正しい日本の歴史より)
りっちちゃんの文に、涙が出そうでした。
僕は文筆家のはしくれでありながら、やはり戦争については、なかなか知り得ません。
個人的に思うことがあるとしても、大きすぎる問題の前に、いつも、これは、何をどこから伝えるべきか、分からなくなって、それで終わってしまっています。
りっちちゃんは、いつも、政治や社会に、自分の意見を持っていて、教えられることがたくさんあり、りっちちゃんの文や意見から、自分ももっと知ろうかな、と思わされ、背筋が伸びます。
そうやね。誰が、ではなく、何が、悪かったのか、水際で、反対! ではなく、なぜ、戦争が起こってしまうのか…。ホンマにそうやね。
70年のあいだに、戦争の意味合いは、どう変わったのか。過去の反省ではなく、先の利権のため、という方向に、走り出しているのであれば、と思うと、知らない世代は、もっと考えなければならないかと思う。
いえいえ、私もまだまだ勉強不足で恐縮です…。
戦争の意味合いなんて、今も昔も変わっていないと思います。
70年は日本にとって節目ではありますが、そのあいだにも世界中で紛争やら戦争が起きていて、世界規模でみればずっと戦中のままですから。
そもそも日本だって70年のあいだも侵略行為を受け続けているわけです。
戦争「できない」なんて、攻め入るのに、特に通常の外交行為なしに侵略攻撃やテロ行為を行う国家や組織にとっては、知ったこっちゃないどころか好都合でしかありません。
経済封鎖を含む戦争行為は、外交の最終手段としてあるものです。
ですが今現在も外交なしに武力行使や戦闘行為を行う国がある以上、防衛軍であるとか軍備での国際連携は国際社会で対等に発言するために必要なものであると思います。それも外交のうちです。
もちろん戦争には莫大なお金や資源、権力が絡むので利権云々とは切って離せないですが、戦闘行為に発展させないための外交まで否定してしまっては何もできません。
そもそも「戦争反対」が民間人の共通認識となった民主主義国家において、国際法で認められたきちんとした防衛権を行使した先に戦争歓迎という世論への変換があるなんて発想をもった団体もいらっしゃいますが、狂気しか感じえません。
戦争は「できない」ではなく、「しない」です。
ただ理想を叫ぶのではなく、現実的手段からいかに理想に近づいていくかを考えなければいかなければなりませんよね。
戦闘に至らないためのヒントは、先人たちが残してくれていると思います。