選択的夫婦別姓(別氏)を考える

 

まず私は、婚姻にまつわる法律に選択的夫婦別姓を適用させるために現行法を改正することには反対しています。

とはいえ、他者が姓や性に関わらずパートナーと共同生活を営みたい想いを否定する考えは全くありません

その生活共同体を公的に保障されたいという想いも理解しているつもりです。

しかしながら現行法の利点を鑑み、現行法を維持することが日本国民に有益であるという結論に私個人は至りました。

新たな法制度や正式な公的枠組みを設けて該当者の生活を営みやすくすることは積極的に行うべきだと思っています。

また、反対はしますが、各々の確固たる信念のもと法改正を訴えてらっしゃる方々を否定する気もありません。

ただ、「選択肢が増えるだけ」「あなたには何の影響もない」「日本は遅れている」等の思考停止したナンセンスな法改正賛成意見それぞれに対する反論として、言論の自由の下、法治国家かつ国民に主権をおく民主主義国家・日本の一国民である私個人の見解を以下にまとめます。

 

 

「選択的夫婦別姓が認められないなんて、日本は世界から遅れている」

公の婚姻制度がどのような目的のため設けられ運用されているかは、国によります。

日本の婚姻制度は婚姻制度に関しての記事で述べたとおり、子育て前提で設計されているわけです。

婚姻はカップルや個人の権利や保障として議論されがちですが、現行の婚姻制度は、あくまで新たに生まれてくる命のための制度だと捉えています。

また、戸籍制度ありきの運用なため、諸外国と単純に比較するべきことではないと考えます。

そもそも、進んでいるだとか遅れているだとかは一つの価値観で判断したものに過ぎず、物事の正誤とは無関係です。

 

 

「夫婦同姓は明治31年からの短い歴史だから、伝統でも文化でもないし変えても構わない」

明治31年式戸籍以前の姓や氏に関しては様々な見解があるため、夫婦同姓が日本の伝統であるか否かについては私は専門家ではないので言及はしません。

ただ、明治31年は1898年、2021年から数えて123年前。

2021年6月23日現在、日本最高齢の方は1903年(明治36年)生まれの118歳。

すなわち、現在生きている日本人は、全員が夫婦同姓の下に生まれ育っているわけです。

伝統とまでは言えずとも、少なくとも1世紀以上である120年は当たり前であった立派な文化だと思いますし、その文化を変えようというのに「伝統ではないから変えても構わない」というのは疑問に思います。

 

 

「国際結婚なら夫婦別姓が選べるのに、日本人同士では選べないのは不公平」

戸籍に関する記事でも少し触れましたが、そもそも国際結婚は選択的夫婦別姓ではありません。

外国人は日本の法律による結婚改姓はできませんので(外国において漢字・ひらがな・カタカナを伴う日本語発音による姓は存在しないし、そもそも改姓は自国の法律による)、日本国籍に帰化しない限り日本姓は取得できません

国際結婚で夫婦同姓とされているご夫婦は、日本人側が改姓手続きを行ったか、外国人側が通名(通称名)を登録・変更したか(こちらは便宜上の夫婦同姓と言える)です。

例えば外国人Smithさんと結婚した場合、日本人配偶者は必然的に戸籍筆頭主となります。

そして、“スミス”というカタカナ姓(アルファベット表記はSmithとできる)に改姓手続きをすることができます。

そして外国人Smithさんは、“スミス”とカタカナで呼ばれたり登録されることはあっても、日本人に帰化しない限りカタカナ姓“スミス”を正式に名乗ることはできません。

これは、結婚改姓というよりは戸籍筆頭主が個人的に改姓した状態と言えます。

よって、「国際結婚では夫婦別姓が選べる」のではなく「原則夫婦別姓、ただし夫婦同姓にするための改姓はできる」が正しいです。

ちなみに子は、国籍選択するまでは両親どちらもの国籍と姓名/氏名を持つことができます。

日本人・山本太郎さんとアメリカ人・Kate Brownさんの子供は、日本名・山本良太/アメリカ名・Robert Brownとすることが可能ということです。

この場合、日本のパスポートとアメリカのパスポートでは姓名が異なってしまいますが、日本のパスポートは外国人と結婚して改姓したか両親が国際結婚の場合に限り外国式のアルファベット表記にでき、さらには外国姓名を併記することが可能なため、日本のパスポートでの姓名表記は“Ryota(Robert) Yamamoto(Brown)”とでき、公式な書面として(データ上は日本姓名しか登録されない)日本のパスポート所持者とアメリカのパスポート所持者が同一人物だと証明できます。

(参考:外務省サイト|旅券(パスポート)の別名併記制度について

これは、暮らしている国で不都合がないようにであったり、将来的にどちらの国籍を選んでも選んだ側の国で差し支えなく生活できるようにするための措置だと考えます。

仮に外国姓への改姓による夫婦同姓を国際結婚の義務とした場合、日本国籍を選択しても子は元来の日本姓とはならないため、日本にとっては不利益だということもあるかと思います。

また何より、両親が別姓であっても子供時代は親子同姓でいられます。

上記の例だと、日本人としては父と同姓・アメリカ人としては母と同姓です。

2つの姓名を持つことを問題視される意見もありますが、二重国籍の子は22歳になるまでに国籍を選択せねばならず、国籍選択をした時点で片方の国籍と姓名からは離脱することになるので、犯罪等の懸念よりも子の育成が優先されているのかなと思います。

ならば、日本人同士の選択的夫婦別姓でも子供は2つの姓を名乗れるようにすればいいとの案もあるかとは思いますが、子は戸籍姓を2つ持っている前提の仕様に戸籍制度をはじめ世の中のシステムを変更しなければなりません。

戸籍制度に関する記事で述べたとおり、私は戸籍制度の変更に強く反対しています。

何より、日本人としての氏/姓が2つも与えられるというのは、少なくとも子供時代に関しては日本人としての本名が1つではなくなってしまうということです。

国際結婚の場合は、外国人としての姓が何であっても日本での戸籍姓は1つです。

国際結婚での婚姻は国内法だけでなく国外の法律等との兼ね合いによって定められた制度ですので、日本人同士の婚姻と同列で比較するのは不適切です。

 

 

「選択的夫婦別姓が認められないのは、夫婦共働きが当然の時代にそぐわない」

そもそも夫婦共働きが当たり前になっていることに関しては、「結婚しても働きたい」という人が男女共増えているのではなく、多くの家庭で夫婦どちらか一方だけでは家計運営ができない現在の日本経済が問題ではないでしょうか。

婚姻制度を法改正すれば経済問題が解決するわけではないですし、それどころか、より夫婦両方が働くことが当たり前の世の中になってしまうのではないかと危惧します。

その上で、結婚しても個人の自由意思として働きたい場合に本名が変わってしまうと、職業や収入関連のことでは『研究者の論文や過去の実績が紐付けされない』『資格免許を書き換えないといけない』『不動産登記や法人登記等を書き換えないといけない』等の手間と手数料負担の問題がありますが、それは同姓夫婦が存在する以上、選択的夫婦別姓を認める認めないに関わらず問題です。

結婚改姓によるキャリア断絶については、松任谷由実さんと旧姓・荒井由実さん時代の作品/経歴やプリンセスプリンセス岸谷香さんと旧姓・奥居香さん時代の作品/経歴はきちんと紐づいているのにな〜と思わないでもないですが、世間的に評価や知名度がある場合に限ることなのかなとも思います。

その解決には、国内のみの機関や法律に関しては、すでに実施されているマイナンバーカードや運転免許証等の旧姓併記に基づく旧姓の公的利用の拡充や、それぞれの機関での新姓と旧姓を紐付けるシステムの構築・拡充を促す法律制定や婚姻による名義変更手数料や諸経費の還付といった新制度の設立をすべきだと考えます。

ただし、それだけでは研究職等の論文や特許申請、旧姓で申請・取得済みの外国の資格や国際資格、在留資格や永住権等の名義変更手続きにかかる手間や費用の問題、国外での仕事等で旧姓を通称としてそのまま使用したくともパスポート名や戸籍名(本名)と一致しないため認められない等の、国外が関わる問題に関しては解決されません。

少なくとも国際資格に関しては、国内資格と同じく変更手数料や諸経費の還付という対応は可能ではないかと思うのですが、国際的な論文や特許の紐付けや諸外国で国内向けに発行される資格までは国家の対応外かと思いますし、在留資格や永住権は該当国の国防に関わる話なので、日本だけで解決するには、確かに現行の民法や戸籍法を夫婦別姓に対応させるしかないかもしれません。

しかしながら、私自身が反グローバリズムであるからでしょうが、外国に合わせるために民法や戸籍法を抜本的に改正していいのか?と納得がいきません。

そもそも、これは日本に限らず夫婦同姓が可能な国の人間であれば、夫婦同姓を選んだ全てのカップルに起きるトラブルです。

「夫婦別姓が選べれば解決」と言うのはあまりにもダブルスタンダードで、夫婦同姓を選びたいカップルの問題を置き去りにしています。

私が考えうる解決法としては、日本の制度を諸外国に理解し対応してもらえるよう外交努力をより行っていくくらいでしょうか。

くらい、と言いましたが、これは国際的にダイバーシティを訴えていくのならば重要な行為だと思います。

もう一つ、旧姓のまま発行された海外航空券が新姓変更したパスポート名と一致せず使用できない等、国外でも通称として旧姓を使用している場合に起きるトラブル。

現在、パスポートも旧姓併記できるようになりましたが、それは紙面上だけでありデータとして登録されているのは戸籍名のみ。

航空券の搭乗者名義がパスポートにデータ登録されている名義と完全一致しなければ航空券は使用できず名義変更もできないため、一旦キャンセルして取り直さないといけません。

ただ、これも日本に限らず夫婦同姓を選んだ全てのカップルに起きるトラブルです。

例えば、婚姻時に旧姓をミドルネームにしパスポート更新していたとして、招待航空券等で購入者が搭乗者の婚姻及びラストネームの変更とミドルネームの追加を把握せずに手配した航空券は使用できません。

これに関しては入国管理つまり国防として必要な規定ですし、当事者同士の伝達が不十分であった場合のトラブルだと思うので、その解決まで国家に求めるのは過剰かと思います。

氏/姓が変わることによって、結婚・離婚はプライベートなこと・プライバシーに関わることなのに周知しないといけないことが苦痛との意見もありますが、そもそも日本において婚姻は公的な制度の最たるものであるため、その公的制度を利用することをプライベートやプライバシーだとするのは無理があるのではないでしょうか。

特に対国外で活動する場合は、お互いの国にとって国防に関わる重要なことですので、個人的な感情や意思より公的な制度が優先されて然るべきなのかなと思います。

 

 

「選択的夫婦別姓が認められないのは、個人の尊重にそぐわない」

結婚後も就労するか否かに関わらず、希少姓の保護やアイデンティティに関わる等の人権の尊重として夫婦別姓を求める声もあるかと思います。

まず現行制度は、どちらが戸籍筆頭主になるか、つまりどちらの姓になるかというのは選択できます。

女性の方が改姓することが慣習として一般的にはなってはいますが、女性側の姓を残したい場合は男性が改姓してもいいわけです。

納得の上での改姓でない場合は問題ですが、妊娠出産を想定すると女性はどうしても仕事から離れなければならない期間がある分、合理的判断で女性が改姓することを選択することもあるでしょうし、結果として女性が改姓する割合が多いことをジェンダーギャップだとかで問題視することには疑問を感じます。

戸籍に関する記事でも書きましたが、一部例外を除き婚姻とは相手の家族籍に入籍することではなく新たな戸籍を2人で作ることです。

現状、改姓する側が戸籍筆頭主になれないのは不平等かもしれませんが、ルーツの紐付けを考えると合理的であるため、制度として妥当だと考えます。

とはいえ、論旨からはずれますが、ルーツの紐付けさえできていれば夫婦で新たな姓を作る(創姓する)制度を設けることも個人的には問題ないと思っています。

夫婦どちらもが希少姓だとか、希少姓でなくとも今の姓を次世代に残したい等の理由で、夫婦別姓を望む声もあるでしょう。

その場合、子の姓を統一しない夫婦別姓が認められたとしても次世代に残すには少なくとも2人の子を授かる必要があり、兄弟姉妹に別姓を強いることになります(兄弟姉妹に別姓を強いることの問題点は後述)。

子供がいなければ認めていいのでは?とも思いますが、それならば婚姻しないという選択もできます。

事実婚やパートナーシップだけでは解決できない問題があるのは承知ですし、改善されるべきだと思います。

しかしながら、戸籍制度に関する記事で述べたとおり、日本における婚姻制度はカップルの権利というよりは子の育成のための制度である意味合いが強い且つ婚姻制度におけるメリットは一律であるべきという観点から、やはり選択的であっても夫婦別姓を現行の婚姻制度として認めるべきではないと考えます。

それと同じく「生まれながらの姓名が自分のアイデンティティだから、改姓せずにずっと生きたい」というのも、相手に改姓してもらうか婚姻しないという選択ができます。

そもそもアイデンティティというのは肩書きや所属などの自分を構成したり表したりするもののことではなく、それらがなくとも「自分は自分」という自己の確立であるため、姓という他者由来のものへの依存がアイデンティティだとは言えないと思うのですが、アイデンティティのようなものだと捉える心情は理解できます。

しかしながら、それが国民全体の生活の根幹である民法や戸籍を改正し国益を損なうことより優先されることとは思えません。

 

 

「選択肢が増えるだけで、選ばない人には何の影響もない」

この意見に関しては、本当に欺瞞に満ちていると感じます。

戸籍は現在、同一戸籍には一つの氏/姓(戸籍筆頭主のもの)なので、個人の欄には名だけが記載されています。

つまり、戸籍筆頭主の氏/姓が、一つの核家族の家族名となっているわけです。

選択的夫婦別姓に合わせて戸籍制度の運用を変える場合、夫婦が同姓であっても別姓であっても、個人欄にも各々の氏/姓を記載することになります。

それは言い換えると、氏/姓は核家族の家族名ではなく血統名でしかなくなり、戸籍制度の運用は夫婦別姓どころか家族全員別姓前提に変更するということ。

例えば、夫婦が別姓であった場合、子はどちらかの姓となるため片方の親とは別姓となります。

さらには、連れ子がいる同士での再婚であった場合、それぞれの子は前夫・前妻の姓としていれば、家族全員が異なる姓になります。

そうなると、「戸籍という核家族単位での管理より、個籍(個人籍)での管理にした方がいいのではないか」という流れになっていくとも予想します。

世の中も、家族がそれぞれ異なる姓であることが前提の運用となるでしょう。

仕様上、夫婦別姓を選ばなかった人は夫婦別姓が前提の運用の中で敢えて夫婦同姓(家族同姓)を選んだ人となります。

この時点で、「選ばない人には何の影響もない」とは言えないです。

夫婦別姓だと家族の絆が云々といった反対意見もあるかとは思いますが、私は家族の姓が一緒だから絆が強いだとか、バラバラだから絆が弱いだとか、そんなことは微塵も思いません。

家族の姓が同じでも繋がりの薄い家族だってあるでしょうし、姓が異なっていても血が繋がっていなくとも絆の強い家族だってあるでしょう。

そんな感情やケースバイケースの話ではなくて、これは単純に国家制度の話です。

戸籍制度に関する記事で述べたとおり、私は戸籍制度の廃止や個籍(個人籍)制度への移行には強く反対しているので、夫婦別姓に伴う戸籍制度の変更には慎重にならざるを得ません。

また、子供の立場になって考えた場合にも、やはり影響がないとは言えません。

よく「親が別姓だといじめられると言うのは、いじめる側の問題」とする意見があるかと思いますが、それについては私も完全に同意です。

“自分とは異なるからいじめる”ということは正当化されるべきではないですし、反論の根拠にはなり得ません。

そうではなくて、個人の内面での葛藤を危惧しています。

現在、婚姻をした夫婦の子は、両親と同じ氏/姓です。

自分の氏/姓の決定に関して、そういうものであるという認識で育ちます。

では、選択的夫婦別姓ではなく完全夫婦別姓になったとして、『子は父姓に統一する』あるいは『子は母姓に統一する』という制度になった場合はどうでしょうか。

「どうして母(父)だけ違う姓なんだろう」という疑念が生まれる可能性はあるものの選択の余地がない以上、やはりそういうものであるという認識で育つかと思います。

問題は、むしろ“選択的”夫婦別姓となった場合です。

両親どちらとも血縁があり両親が婚姻状態にある子の状態として、以下の3パターンが考えられます。

①両親と同姓 ②両親のうち父のみ同姓 ③両親のうち母のみ同姓

この①~③が混在する社会になると、「家族の姓を一緒に揃えることもできるのに、どうして我が家はバラバラなんだろう?」「家族の姓はバラバラでもいいのに、どうして我が家は一緒なんだろう」「父(母)と同じ姓だけど、母(父)の姓が良かった」「母(父)と同じ姓ということは、父(母)は自分を選んでくれなかったということか」、さらには兄弟姉妹の姓を統一しない場合は「自分は選ばれなかったのに兄弟姉妹は選ばれた」など、子によってあらゆる精神的負担が想定されます。

「選択的ならば各家庭の自由なのだから子を教育すれば問題ない」というのは、「そういうもの」と納得できる子ならいいかもしれませんがそうとは限らず、選択の自由と言いながら子供は選択できずに受け入れるだけなため、それは各家庭の自由ではなく子を親の所有物とした親の自由の押し付けです。

「よその家のことは詮索すべきじゃないし、気にすることではない」と言いますが、法律で規定される以上は子供であろうが大人であろうが国民が認知することです。

憲法や法律、条例に関わらないことでは、他者に迷惑をかけないなら各家庭や個人の自由であるべきですが、これからの日本を生きる全ての命に関わることに対して「他人の家庭に口を挟まないでほしい」というのは、法治国家かつ民主主義国家においては通らない主張かと思います。

親に子の保護責任はあれど、子は親の所有物ではなく思考も独立した親とは別の個人です。

選択肢が多い方が平等・公平だと考えがちですが、この件に関しては、子にとっての不平等・不公平は確実に増えます。

子を境遇を置き去りにした考え方は、日本の婚姻制度として本末転倒です。

少なくともの上記のような懸念があるにも関わらず、「選択的なのだから、別姓を選ばない人には何の影響もない」としてしまう無責任さに怒りさえ覚えます。

そもそも全てを好きに選択していいのなら、ルールとして規定する必要がないためルール自体が不要となり、ただの無法・無秩序ということになります。

夫婦別姓のメリットを強調し完全夫婦別姓を訴える方がよっぽど潔いし、私個人は夫婦同姓が良いと思うため反対はしますが主張に納得はできます。

また、結婚に伴う各種名義変更などに関して「改姓は手続きが負担になる」ということで夫婦別姓を求める方もいらっしゃるかと思いますが、選択的夫婦別姓が認められて別姓にした人はしなくて済む手続きになったとしても、同姓を選んだ人には変わらず負担として残ります。

婚姻制度に関する記事で婚姻のメリットとされる控除や権利を一律にしていることは平等と述べましたが、婚姻にまつわる負担も同じく一律であって然るべきであり、夫婦同姓を選んだカップルだけが負わなければいけない状態になることは問題だと考えます。

前述した職業や収入に関わる改正手続きの手間や費用以外は、結婚に伴う引越しで住所変更があるのなら一緒に片付けてしまうことかと思うので手続き自体に関しては結婚改姓した側だけの負担が大きいとは個人的には思えないのですが、しかしながら、やはりこちらも変更に伴う手数料などは大きな負担であると同意します。

選択的夫婦別姓の是非に関わらず改姓手続きの手間や費用が問題なのであって、国家としては国民に結婚し子を育んてもらいたいのならば、結婚に伴う改姓手続き等に関しては公的機関では手数料免除にするとか民間機関の手数料は確定申告で還付するとか、そういった法律の追加や婚姻特例制度を設けるべきだと思います。

 

 

感情での意見も大事だと個人的には思いますが、国民の生活に直結する制度や法律は国家運営の危機管理と深く関わることですので、感情だけで判断すべきではないと考えます。

抜本的な改革は聞こえはいいですが根幹を揺るがすものであるため慎重になるべきで、根幹を揺るがさずに問題を解決できるならばそれがベストではないでしょうか。

まずは生じている問題一つ一つについてきちんと向き合い解決していくことの方が、全体にとっても利があり受け入れられやすいと思います。

 

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