住民投票結果の論調に思う大事なこと

5月17日に大阪市で行われた、特別区設置の賛否を問う住民投票。

66.83%の投票率、賛成:69万4844票、反対:70万5585票で否決されました。

得票率わずか0.8%差での否決。

投票数が変われば、可決されていた可能性も大いにあります。

個人的には、半数もの人数が反対するほど不透明な新案が可決されなくて本当に良かったと安堵しております。

さて、投票結果に関しての論調に気になるところがあります。

「未来のことを考えない高齢者層によって改革が阻まれた」

「低所得者層が現行サービスを捨てられなかった」

果たして、本当にそうなのでしょうか。

いわゆる「シルバーデモクラシー」と揶揄された根拠の信憑性は、らいふはっきんぐどっとねっとというサイトの【謎】大阪都構想の住民投票の世代別の賛成・反対投票率がどうも妙な件。という記事にわかりやすくまとめられています。

※この記事では期日前投票が考慮されていないようでしたので、投票率結果がおかしいという考察となっているようです。

「70代以上」以外の世代では賛成が上回ったのに、なぜ結果は反対となったのか。

この記事によると、出口調査の結果が正しいとして投票率が100%だった場合、全体の22%である70代以上の反対率61%を79%に上げても、結果は賛成になるというのです。

年代別の投票率が不明なので一概には言えませんが、高齢者の数の力というよりは賛成率がそれぞれ60%を超え、合計で人口全体の31%を占める単純に20代・30代の投票率が低かった可能性が考えられます。

さて、出口調査は当日投票者を対象とした、あくまでアンケート。

期日前投票分を加えて、反対が上回ったわけですが、これに関しても、「期日前投票は高齢者票が多く、年齢的に思考能力が低下しつつある高齢者はまわりに吹き込まれて投票している」との意見もありますが、ならば「賛成」意見を吹き込まれている可能性もあります。

何より、私自身が日本にいる間は日曜日が仕事なことが多く、よく期日前投票に行っていましたし、今回同じような友人も多くいました。

期日前投票の反対票=高齢者票という考えも安直すぎます。

そもそも反対率を見て「高齢者は未来のことを考えていない」という結論付けは、若者世代の投票率が実際に低かった場合、「若者は現在の忙しさに託つけて未来のことを考えていない」と責める以上に横暴です。

超個人的な話を出して申し訳ないのですが、昨年の夏に亡くなった自分の祖母を思い出しても、彼女は最期まで私や他の孫たちのことをいちばんに気にかけてくれていました。

高齢者の多くは、未来を生きる世代の親であり祖父母である方なのです。

そんな方々が、未来を考慮せず投票するでしょうか。

また、今の70代は元気で頭もしっかりした方が多くいらっしゃいます。

私の祖母は80代で亡くなりましたが、70代の頃はしっかりと自分の考えを持った人でした。

確かに、新しいことへの理解度は低いかもしれないですが、だからといって、若者世代にない経験による有識量は蔑ろにするべきではありません。

そして、未来を考えて「反対」を選んだ若者もいることも忘れてはいけません。

これだけ拮抗した賛否票。

高齢者を批判する前に、それだけ各世代に一定数の反対意見があったということを受け止めるべきです。

これは南北で分かれた賛否を貧困差としたことにも言えることで、大阪市選挙管理委員会発表の区別投票結果(Wikipedia)によると、反対票は41%〜56%(表示以下切り捨て)と、どの区においても得票数は拮抗しています。

また、賛成票率が最も高かった北区では、賛成票と反対票の差は19%ありますが、反対票率が最も高かった大正区での賛成票と反対票の差は13%で、大正区には賛成票も多くあったことにより、やはり各地域においても、反対意見が一定数あったということが事実です。

今回の協定書が否決された原因は何よりも、賛成で圧倒するには欠陥の多い案だったことと考えます。


上記リンクの記事にあるような、素人の私でも浮かんだ矛盾点を解消してくれるような具体的な答弁を公表せず、「そんなことはありえない」「話にならない」「説明会に来い」で通すことに何の意義があったのでしょうか。

賛成派の方の意見も「協定書をちゃんと読んだらわかる」「勉強すればわかる」だけで、賛成派以外にわかってもらう努力が少なかったのではないでしょうか。

それは、立案側としての責任でもあります。

「抜本的な改革」。

響きが良く改革=良いものと捉えがちですが、根本を失くす以上、デメリットが極力少ないものでないと、その先にあるのは改善ではなく改悪による崩壊です。

取らぬ狸の皮算用にしか思えない経済効果や税の無駄の解消のために、現在の大阪が崩壊してしまう危険性も考えるべきです。

未来は現在の先にあり、現在が崩壊してしまっては未来もないのです。

さて、住民投票の結果が出たからといって終わりではありません。

むしろ関心が高まったからこそ、改善のスタートです。

安易なカテゴライズによる世代批判や地域批判なんて、無駄なものに思えます。

他に考えるべきことは山ほどあります。

また、「改革しか改善の道がない」、なんて思考停止もいいところです。

橋下氏以前の関市政・平松市政が大げさにせずに、コツコツ無駄を解消して来た実績を知ろうともせず、それを無きことにして声が大きいものを正義とすることに違和感をおぼえます。

負けたら引くのが潔い?

大阪を政治ゲームのフィールドと考えればそうかもしれませんが、大阪は人々が暮らす場所です。

本当に大阪のことを考えて発案していたならば、負けてもなお大阪の改善を考えるはずです。

個人的には、橋下氏の行政は改悪しかなく、行政責任者の仕事よりも個人的な政治活動に力を注いでいた印象なので退いてくれてホッとしていますが。

もちろんそれは、橋下氏の正義に基づくものだったでしょうが、公と民間、行政の正解と弁護士の正解の原理が異なるものだったことに尽きるでしょう。

住民投票があり、行政への注目が高まったからこそ、大阪府職員も大阪府議会議員も、大阪市職員も大阪市議会議員も、より一層、財政や行政サービスの改善に努めてもらわなければなりません。

自民党も、本来ならば必要のない対案の対案という意味の無い案である「総合区」なんて案は、維新の会に煽られたからと言って、付け焼き刃で用意した以上「大阪都構想」よりも欠陥である可能性が高いため、大阪のためにならないのであれば破棄していいのです。

何より、変わらなければならないのは、私たち住民です。

住民としても国民としても、責任を政治家や政権に押し付けがちですが、それを担う議員を選出しているのは他でもない住民なのです。

被選挙権があれば、立候補だってしていいのです。

立候補するにせよしないにせよ、選挙権があるならば自分の頭でしっかりと考えることが大事です。

住民投票以外でも、例えば地元の議員に働きかけるだとか、署名運動だとかで意見の反映は努力できます。

ちなみに大阪府民としては、大阪市の財政状況を心配する前に、まずは財政健全化団体転落間近の大阪府の財政状況を危惧するべきと考えます。

地域行政だけでなく、日本国民としても憲法改正などこれから様々な決断が待ち受けています。

何事も「○○さんがこう言ってたから」「●●●でこう報道されてたから」と情報を鵜呑みにするのではなく、その真偽は自分で精査し考察する。

私が書いている文章はもちろん、善意によるものであれ悪意によるものであれ、マスメディアやインターネットの情報すら疑ってかかる必要があります。

当たり前のことではありますが、忙しい現代人が蔑ろにしがちな行為です。

しかし、それがこれからもっと重要になるでしょう。

中高生時代に情報の授業で習った”メディアリテラシー”というやつですね。

選挙においては、そのうえで投票に行く。

日本の制度において、住民投票や国民投票だけが民主主義ではないのです。

真摯な判断なしに生まれる被害を被るのは、いつだって自分や自分のまわりの大切な人たちです。

余談ですが、選挙活動についても少し思うところがあります。

今回、私は大阪にいなかったので実状はわかりませんが、複数の知人によると賛成派も反対派も、特に反対派のほうが住民迷惑になるような選挙活動が多かったようです。

大音量スピーカー、通行の妨げ、電話作戦、大量のチラシ配布、「住民のため」を謳っているにもかかわらず公害さながらの活動は本末転倒と言えます。

選挙活動のあり方も、これから考えていかなければならないことのひとつではないでしょうか。

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