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総選挙はもちろん、国民審査も重要です。

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2017年10月22日に、第48回衆議院議員総選挙が行われます。

衆議院解散から40日以内に総選挙を行うことが日本国憲法第五十四条で定められていますが、9月28日の解散から公示日の10月10日まで12日間、公示日から10月22日の投開票までも12日間で、解散から投票日までの期間は24日間と現憲法下では5番目の短期決戦。

現職議員はもちろん、現職でない野党候補も常に準備しているものかとは思いますが、解散から公示日までの期間が短いと、特に無所属での立候補が難しくなり、候補者数が少なくなってしまう傾向があるのではないかと思います。

そうなると投票の選択肢が少なくなり、私は今回、特に小選挙区に関しては頭を悩ませています…。

しかしながら、このような短い選挙期間も政権与党だからこそなせる政治戦略、選挙戦略であり、それに納得がいかないのならば尚のこと政治参加していくべきであり、さらには各党の政策をより全世代向きにさせるためにも18歳〜30代という若い世代の投票率を上げることが大切だと思います。

 

さて、総選挙と同時に行われる大事な制度にも関わらず、あまり話題にならないのが最高裁判所裁判官国民審査

小選挙区、比例区と投票したあと、審査される裁判官の名前に×を付けるか付けないかして投票する、あれです。

「汚職した裁判官は弾劾裁判で罷免されるし、そもそも法律をきちんと把握していない私が審査しても…」と、恥ずかしながら今まで特に考えず投票していました。

しかし、今回の総選挙で日本の政治や制度を考えるにあたり、「あれ?国民審査って、実はかなり大事な制度じゃない?」と考え改めるに至りました。

そもそも国民審査とは(参考:総務省|国民審査|制度のポイントを知ろう!

最高裁判所裁判官国民審査は、すでに任命されている最高裁判所の裁判官について、その職責にふさわしいかどうかを国民が審査する日本国憲法第79条に規定された解職の制度です。

最高裁判所の裁判官は、任命された後に初めて行われる衆議院議員総選挙の投票日に国民審査を受け、この審査の日から10年を経過した後に初めて行われる衆議院議員総選挙の投票日に再度、審査を受けます。

その後も、10年を経過するたびに審査対象となります。

審査の投票権は衆議院議員の選挙権に準じ、審査は衆議院議員総選挙の投票日に衆議院議員総選挙投票所で行われます。

最高裁判所裁判官国民審査では、審査を受ける裁判官の氏名が投票用紙に印刷されており、裁判官ごとに、辞めさせたい意思があれば「×」を記入し、なければ何も記入せずに投票。

つまり、白票は棄権ではなく全員を信任したということになるので、棄権するには投票用紙を受け取らないか返却する必要があります。

「×」以外の事項を記入した投票は無効です。

「×」を記入された票が、何も記入されていない票の票数を超えた場合、その裁判官は罷免されますが、投票総数が選挙人名簿登録者数(有権者数)の100分の1に達しない場合は、この限りではありません。

 

なぜ国民審査が重要なのか(私個人の解釈です)

日本は法治国家であり民主主義国家です。

国民が守るべき法律は、国民によって選出された国会議員によって話し合われ制定されます。

そして、国民の行動が法律に違反していないか、判決を下すのが裁判所であり裁判官です。

その際、「◎◎という行動は、××という法律に違反していて懲役□年という判例があるので、◎◎の事例に近い今回の案件は、それと同等の判決がふさわしいだろう」というように、過去の判決(判例)も判断材料となります。

そしてそれが、さらに判例となっていきます。

つまり裁判官は、判決を下すと同時に「判例を作る」という行為を行っているわけです。

ではその判決が、日本や日本国民にとって不条理な判決だった場合はどうでしょうか。

そこで、国民審査です。

判決を下した裁判官が国民審査で罷免されることにより、「この判決を下した裁判官は罷免された」という判断材料を付け加えられます。

最高裁判所以外の裁判官の罷免はできませんが、日本は三審制となっているので、地方裁判所や高等裁判所での判決が不服だった場合は控訴および上告することで最高裁判所での判決を求めることができます。

そして最高裁判所での判決は、日本の最終判断となります。

裁判官は、国会議員のように国民から直接選出されるわけではありません。

であれば、日本の最終判断が日本として本当に正しかったのかを精査する責任が、日本国民にはあると考えます。

民主主義国家として、裁判所や1人の裁判官が力を持ちすぎることを防ぐためにも、一般日本国民が司法を是正できる手段として、国民審査はかなり重要な制度だと思います。

もちろん、職務をまっとうし妥当な判決を下した裁判官は罷免されるべきではないので、いたずらに「×」をつけるのは許される行為ではありません。

審査対象の裁判官が過去にどのような判決を下してきたか、きちんと知ってから投票すべきです。

 

審査される裁判官を把握しよう

最高裁判所裁判官は、長官と判事合わせて全員で15名。

そのうち今回審査対象となるのは、小池裕(こいけ ひろし)氏、戸倉三郎(とくら さぶろう)氏、山口厚(やまぐち あつし)氏、菅野博之(かんの ひろゆき)氏、大谷直人(おおたに なおと)氏、木澤克之(きざわ かつゆき)氏、林景一(はやし けいいち)氏の7名です。

審査対象の裁判官についての情報は、「最高裁判所裁判官国民審査公報」に掲載されるほか、裁判所サイトの最高裁判所の裁判官ページで確認することができます。

報道などではどうしても総選挙がメインになってしまい、審査対象の裁判官について大々的に報じるメディアは少ないですが、国民審査にあたり対象7名にアンケートを行った記事や、7名が過去に関わった裁判や判決をまとめている記事などもあります。

総選挙においても言えることではありますが、テレビや新聞の情報を鵜呑みにするのではなく、自分で簡単に、あらゆる方面からの情報を収集・判別できる現代です。

言い換えれば、「よくわからない」で逃げずに調べれば「少しはわかる」に簡単になれる時代だと思います。

選挙も国民審査も、結局は自分の生活に関わること。

私自身、どちらも逃げずにしっかりと調べて考えてから投票に行きたいと思います。

 

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もうひとつの『硫黄島からの手紙』

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渡辺謙さん主演、嵐の二宮和也さんも出演されていた『硫黄島からの手紙』という映画は、ご覧になられましたか?

私は恥ずかしながら、今年2015年4月に安倍晋三首相が行ったアメリカ議会での演説での一幕、硫黄島の戦いに23歳で参加したローレンス・スノーデン元米海兵隊中将と硫黄島守備隊司令官だった栗林忠道陸軍大将の孫・新藤義孝前総務相が傍聴席に並んで座っている姿が紹介されるのを目にしたのがきっかけとなるまで、鑑賞したことはありませんでした。

2006年に東京都小笠原諸島硫黄島で発見された、数百通もの手紙。

それは、61年前にこの島で戦った方々が家族に宛てて書き残したものでした。

第二次世界大戦、日本にとっては大東亜戦争(戦後、GHQによって太平洋戦争と名称変更させられた)の戦況が悪化の一途をたどった1945年2月19日、ついにアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始します。5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にも及ぶ歴史的な激戦となりました。

日本本土、しかも本丸である東京に近い硫黄島は、攻略されると日本本土を攻撃するための拠点とされてしまうため、日本を防衛するためにはとても重要な島でした。

少しでもアメリカ軍を手こずらせ、戦いを長引かせようと命を懸けて戦われた方々がいたことに、こういった方々のおかげで今の平和で安全な日本があるのだと心が震えました。

日本本土が早々と攻略されてしまっていたら、もしくは条約やその類いの物を何も引き出せずに早々と降伏していたら、日本なんて国はそこで消滅していたかもしれないのですから。

 

もちろん、映画ですのでフィクションもまぜられているでしょうから、実際の硫黄島の戦いについて知りたくなり調べる中で、家族宛ではない、もうひとつの硫黄島からの手紙の存在を知りました。

それは、映画にも少し登場する市丸中将(海軍少将でしたが戦死により中将へ特進)という方の、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた手紙です。

もちろんご存知の方も大勢いらっしゃる有名な手紙でしょうが、またも恥ずかしながら、私にとっては学校の授業では出会った憶えの無いものでした。

そこには、この大東亜戦争を日本がどんな想いで戦っているか、大東亜戦争が日本にとってどんな戦いであるかが鬼気迫る状況だからこそストレートに、明確に書き記されており、こんな文章があったこと、そしてそれを知らなかったということに衝撃を受けました。

この手紙は日英両文で書かれ(英翻訳はハワイ生まれの三上弘文兵曹が担当)、1945年3月26日、第二飛行場を攻撃した日本兵の遺体から発見されたそう。

それを従軍記者のエメット・クロージャーが本国に打電し、当局による検閲を経た後、1945年7月11日に米国で新聞報道されました。

しかし、ルーズベルト大統領は1945年4月12日に死去しており、ルーズベルト大統領の手には渡らなかったものと思われます。

この原文・英文は芋太郎の広場というサイトの対訳 ルーズベルトへの手紙というページで紹介されています。

以下は、正しい日本の歴史というサイトのルーズベルトへの手紙という記事より、その手紙の内容の引用です。


 


海軍少将 市丸 利之助(いちまる りのすけ)

『ルーズベルトニ与フル書』(現代語訳)

日本海軍市丸海軍少将が 「フランクリン ・ルーズベルト」 君に書を宛てる。

私は今、我が戦いを終えるに当たり一言貴方に告げることがある。

日本国が 「ペルリー(ペリー)」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶようになった時より約百年の間、国の歩みは困難を極め、自ら欲しないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次欧州大戦(第一次世界大戦)、満州事変、支那事変を経て、不幸にも貴国と交戦することになった。  そして貴方は我々を、あるいは好戦的国民であるとし、あるいは黄禍論を用い貶め、あるいは軍閥の独断専行であるとする。

思いよらぬもの甚だしいと言わざるを得ない。  貴方は真珠湾攻撃の不意打ちを理由に対日戦争(大東亜戦争) 唯一の宣伝資料とするが、そもそもにおいて日本国が自滅を免れるためこの行動に出る他ないという程の窮地にまで追い詰めたような諸種の情勢というのは、貴方の最も熟知するものであると思う。

畏れ多くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養成(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三鋼(秩序)とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)の文字によって表される皇謨に基づき、地球上のあらゆる人間はその分に従い、その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願になさったのに他ならない。

これは 「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか) という明治天皇の御製(天皇の詩)は貴方の叔父セオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したものであるが故に、貴方もよく熟知しているのは事実であろう。

私たち日本人はそれぞれ階級を持ち、また各種の職業に従事するけれども、結局はその職を通じ皇謨、つまりは天業(天皇の事業)を翼賛(補佐)しようとするのに他ならない。

我ら軍人は交戦を以て天業を広めることを承るに他ならない。

我らは今、物量に頼った貴方の空軍の爆撃、艦隊の射撃の下、外形的に後ろへ退くもやむなきに至っているが、精神的にはついに豊かになり、心地ますます明朗になり、歓喜を抑えることができなくもある。

この天業翼賛の信念が燃えるのは、日本国民共通の心理であるが、貴方やチャーチル君は理解に苦しむところであろう。

今、ここに貴方達の精神的貧弱さを憐れみ、以下の一言を以て少しでも悔いることがあれば良いと思う。

貴方達のなすことを見れば、白人、とくにアングロサクソン(アメリカとイギリスの主な民族)が世界の利益を独占しようとして、有色人種をその野望実現のための奴隷として扱おうということに他ならない。

この為に邪な政策をとり有色人種を欺き、所謂悪意の善政を行うことで彼らを喪心無力化しようとしている。

近世に至り日本国が貴方達の野望に抗し有色人種、特に東洋民族を貴方達の束縛より解放しようと試みたところ、貴方達は少しも日本の真意を理解しようと努めることなくただ貴方達に有害な存在となし、かつて友邦とみなしていたにも関わらず仇敵野蛮人であるとし、公然として日本人種の絶滅を叫ぶに至った。
これは決して神意にかなうものではないだろう。

大東亜戦争によって所謂(いわゆる)大東亜共栄圏が成立し、所在する各民族はわれらの善政を謳歌しているから、貴方達がこれを破壊することが無ければ、全世界にわたる恒久的平和の招来は決して遠くは無いだろう。 貴方達はすでに成した。  十分な繁栄にも満足することはなく数百年来にわたるあなた方の搾取から免れようとするこれらの憐れむべき人類の希望の芽をどうして若葉のうちに摘み取ろうとするのか。


ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。


あなた方はどうしてこのように貪欲で狭量なのか。


 大東亜共栄圏の存在は少しも貴方達の存在を脅威するものではない。  むしろ世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものであって、日本天皇の真意はまったくこれに他ならない。  
このことを理解する雅量(器)があることを希望してやまないものである。

翻って欧州の事情を観察すると、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛感し嘆かざるをえない。  
今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次世界大戦開戦の原因が第一次世界大戦の終結の際、その開戦責任の一切を敗戦国ドイツに押し付け、その正当な存在を極度に圧迫しようとした貴方達の処置に対する反発に他ならないということは看過できない。

貴方達の善戦によって力を尽くしてヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリン率いるソヴィエト(※共産主義:著者注)と協調するのか。  
世界を強者が独専しようとすれば永久に闘争を繰り返し、ついに世界人類に安寧幸福の日はないだろう。

あなた方は今世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方は得意げに思っているに違いない。  しかし貴方達の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。

願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないで欲しい。

市丸海軍少将 

 

( 『米国大統領への手紙』  平川祐弘 新潮社より引用  )


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手紙の中に出てくる「八紘一宇」という言葉。

今年2015年3月の予算委員会にて、三原じゅん子参院議員が用いて物議をかもした言葉です。

なぜ問題になったかというと、大戦時に日本の侵略行為を正当化するための標語として使用されていたからであると同時に、発言時の文脈で必ずしも用いるべき必要があったか、ということからですが。

この言葉は本来、軍国主義が台頭するより遥か昔、『日本書紀』に由来するものです。

「八紘」とは「天地の八方の隅」すなわち「全世界」を意味し、「宇」は「家」を指す語で、漢和辞典では「八紘一宇」は「世界を一つの家にする」というのが原義であるとされています。

引用元でも、『天下を一つの屋根の下に』と解説がつけられています。

つまり、日本がトップとなって世界を治めよう、という帝国主義的考えに当てはまるとされたわけです。

 

ですが私は、この「八紘一宇」という言葉を見るに、日本人として、そんな大それた意義は感じ取れないのです。

もし「世界を一つに」、つまり「全世界を日本にしよう」という意思のもと侵略行為をしていたならば、「一宇」だけでその意味として事足りるのです。「世界一宇」であるとか。

しかし、そこを何故「八紘」したのでしょうか。

「八」は、日本において縁起の良い数字であると同時に、「八百万(やおよろず)の神」というように「たくさん」に繋がる数字でもあります。

それぞれ独立した「家」集合体として日本という「国」が存在するように、ヨーロッパ諸国やアメリカと対等になるべく、たくさんの独立した「国」集合体として現在のEUアジア版のような大東亜共栄圏を目指したからこその「八紘一宇」だったのではないでしょうか。

日本のした侵略行為は、欧米によってすでに植民地支配されていた国々に対して行われました。

その国々というより、その国々を支配していた国に対しての侵略を行っていたわけです。

つまり日本は「一宇」になろうとしたのではなく、「八紘」の一員として「一宇」を築いていこうとしたのではないか、と。

少しでも多く「八紘」の一員を増やしたかったのではないか、と。

もちろんこれは私個人の勝手な解釈なので、都合よく捉え過ぎと指摘されるようなものですが。

違いを違いと認めて、個性を尊重し尊敬し、協力してひとつとなる。

この考えは、平和の基本ではないでしょうか。

 

ヨーロッパ諸国にも、アメリカにも、それぞれの正義があるでしょう。

連合軍側が勝ったので、連合軍側の正義が正しかったとなり、日本、ドイツ、イタリアなど枢軸国の正義は悪とされました。

もちろん、日本の行為が全て正しかったとは思いません。

八紘一宇を正義として戦いつつも、日本を守るための砦として侵略を進めていた面もあるでしょうし、大東亜共栄圏という考え方すら日本の独りよがりだったという見方もあるでしょう。

その中で、罪の無い人々を巻き添えにしてしまったことも、もちろんあったでしょうし、たくさんの自国民を犠牲にしましたし、やはり戦中といえど敵国の軍人であれ人の命を奪ったことには変わりありませんし、それが戦争というものだったとしても、もし日本が戦争に勝っていたとしても、正当化していいものではないと思います。

ですが、それと同じように、奴隷支配による植民地支配を行っていたヨーロッパ諸国、度重なる本土空襲や沖縄での上陸戦、そして2発もの原爆によるあからさまに民間人を標的とした攻撃を行ったアメリカ、連合国側が行っていた行為は、悪ではないのでしょうか。

枢軸国が謝罪し償うだけで、世界は平和になるのでしょうか。

 

 先の大戦から70年も経過した今、「それが戦争」と片付ける時代は過ぎたのだと思います。

インターネットが普及し、歴史的資料や史実を気軽に広めたり知ったりできるようになった現在では、誰でも自由に、モラルによって善悪を見極められる環境が整ってきました。

本土攻撃をされるまで追いつめられた日本人としては、「戦争」と聞くとどうしても、空襲、徴兵、民間人が亡くなる、というイメージが強く、「とにかく反対!」となってしまう気持ちはよくわかります。

しかし、「戦争とはなんなのか」「なぜ戦争が起きるのか」など、戦争になってしまった理由に目を向けて考えることこそが、戦争回避、そして平和への道ではないでしょうか。

立場なんて、その時の状況によって簡単に変わります。

未来の平和のため過去に学ぶべきは、「誰が悪かったか」ではなく「何が悪かったか」です。

 

戦後70年の節目に安保法案で揺れる日本。

一国の憲法が、他国にどこまで尊重してもらえるのか。

防衛とは、集団的自衛権とは何なのか。

原爆を落とされた国として、国内だけではなく世界に向けて国際平和を訴えていく、国際平和に貢献していく現実的な方法はなんなのか。

世界の文化や史実とともに、そういったことを一日本人として学び考え、行動していかなければと思う、8月15日です。

 

 

参考:対訳 ルーズベルトへの手紙ルーズベルトへの手紙正しい日本の歴史より)

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住民投票結果の論調に思う大事なこと

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大阪都構想に向けた住民投票記事

 

5月17日に大阪市で行われた、特別区設置の賛否を問う住民投票。

66.83%の投票率、賛成:69万4844票、反対:70万5585票で否決されました。

得票率わずか0.8%差での否決。

投票数が変われば、可決されていた可能性も大いにあります。

個人的には、半数もの人数が反対するほど不透明な新案が可決されなくて本当に良かったと安堵しております。

 

さて、投票結果に関しての論調に気になるところがあります。

「未来のことを考えない高齢者層によって改革が阻まれた」

「低所得者層が現行サービスを捨てられなかった」

果たして、本当にそうなのでしょうか。

 

いわゆる「シルバーデモクラシー」と揶揄された根拠の信憑性は、らいふはっきんぐどっとねっとというサイトの【謎】大阪都構想の住民投票の世代別の賛成・反対投票率がどうも妙な件。という記事にわかりやすくまとめられています。

※この記事では期日前投票が考慮されていないようでしたので、投票率結果がおかしいという考察となっているようです。

「70代以上」以外の世代では賛成が上回ったのに、なぜ結果は反対となったのか。

この記事によると、出口調査の結果が正しいとして投票率が100%だった場合、全体の22%である70代以上の反対率61%を79%に上げても、結果は賛成になるというのです。

年代別の投票率が不明なので一概には言えませんが、高齢者の数の力というよりは賛成率がそれぞれ60%を超え、合計で人口全体の31%を占める単純に20代・30代の投票率が低かった可能性が考えられます。

さて、出口調査は当日投票者を対象とした、あくまでアンケート。

期日前投票分を加えて、反対が上回ったわけですが、これに関しても、「期日前投票は高齢者票が多く、年齢的に思考能力が低下しつつある高齢者はまわりに吹き込まれて投票している」との意見もありますが、ならば「賛成」意見を吹き込まれている可能性もあります。

何より、私自身が日本にいる間は日曜日が仕事なことが多く、よく期日前投票に行っていましたし、今回同じような友人も多くいました。

期日前投票の反対票=高齢者票という考えも安直すぎます。

そもそも反対率を見て「高齢者は未来のことを考えていない」という結論付けは、若者世代の投票率が実際に低かった場合、「若者は現在の忙しさに託つけて未来のことを考えていない」と責める以上に横暴です。

超個人的な話を出して申し訳ないのですが、昨年の夏に亡くなった自分の祖母を思い出しても、彼女は最期まで私や他の孫たちのことをいちばんに気にかけてくれていました。

高齢者の多くは、未来を生きる世代の親であり祖父母である方なのです。

そんな方々が、未来を考慮せず投票するでしょうか。

また、今の70代は元気で頭もしっかりした方が多くいらっしゃいます。

私の祖母は80代で亡くなりましたが、70代の頃はしっかりと自分の考えを持った人でした。

確かに、新しいことへの理解度は低いかもしれないですが、だからといって、若者世代にない経験による有識量は蔑ろにするべきではありません。

そして、未来を考えて「反対」を選んだ若者もいることも忘れてはいけません。

これだけ拮抗した賛否票。

高齢者を批判する前に、それだけ各世代に一定数の反対意見があったということを受け止めるべきです。

 

これは南北で分かれた賛否を貧困差としたことにも言えることで、大阪市選挙管理委員会発表の区別投票結果(Wikipedia)によると、反対票は41%〜56%(表示以下切り捨て)と、どの区においても得票数は拮抗しています。

また、賛成票率が最も高かった北区では、賛成票と反対票の差は19%ありますが、反対票率が最も高かった大正区での賛成票と反対票の差は13%で、大正区には賛成票も多くあったことにより、やはり各地域においても、反対意見が一定数あったということが事実です。

 

今回の協定書が否決された原因は何よりも、賛成で圧倒するには欠陥の多い案だったことと考えます。

素人の私でも浮かんだ矛盾点(大阪都構想に向けた住民投票記事)を解消してくれるような具体的な答弁を公表せず、「そんなことはありえない」「話にならない」「説明会に来い」で通すことに何の意義があったのでしょうか。

賛成派の方の意見も「協定書をちゃんと読んだらわかる」「勉強すればわかる」だけで、賛成派以外にわかってもらう努力が少なかったのではないでしょうか。

それは、立案側としての責任でもあります。

「抜本的な改革」。

響きが良く改革=良いものと捉えがちですが、根本を失くす以上、デメリットが極力少ないものでないと、その先にあるのは改善ではなく改悪による崩壊です。

取らぬ狸の皮算用にしか思えない経済効果や税の無駄の解消のために、現在の大阪が崩壊してしまう危険性も考えるべきです。

未来は現在の先にあり、現在が崩壊してしまっては未来もないのです。

 

さて、住民投票の結果が出たからといって終わりではありません。

むしろ関心が高まったからこそ、改善のスタートです。

安易なカテゴライズによる世代批判や地域批判なんて、無駄なものに思えます。

他に考えるべきことは山ほどあります。

また、「改革しか改善の道がない」、なんて思考停止もいいところです。

橋下氏以前の関市政・平松市政が大げさにせずに、コツコツ無駄を解消して来た実績を知ろうともせず、それを無きことにして声が大きいものを正義とすることに違和感をおぼえます。

負けたら引くのが潔い?

大阪を政治ゲームのフィールドと考えればそうかもしれませんが、大阪は人々が暮らす場所です。

本当に大阪のことを考えて発案していたならば、負けてもなお大阪の改善を考えるはずです。

個人的には、橋下氏の行政は改悪しかなく、行政責任者の仕事よりも個人的な政治活動に力を注いでいた印象なので退いてくれてホッとしていますが。

もちろんそれは、橋下氏の正義に基づくものだったでしょうが、公と民間、行政の正解と弁護士の正解の原理が異なるものだったことに尽きるでしょう。

住民投票があり、行政への注目が高まったからこそ、大阪府職員も大阪府議会議員も、大阪市職員も大阪市議会議員も、より一層、財政や行政サービスの改善に努めてもらわなければなりません。

自民党も、本来ならば必要のない対案の対案という意味の無い案である「総合区」なんて案は、維新の会に煽られたからと言って、付け焼き刃で用意した以上「大阪都構想」よりも欠陥である可能性が高いため、大阪のためにならないのであれば破棄していいのです。

 

何より、変わらなければならないのは、私たち住民です。

住民としても国民としても、責任を政治家や政権に押し付けがちですが、それを担う議員を選出しているのは他でもない住民なのです。

被選挙権があれば、立候補だってしていいのです。

立候補するにせよしないにせよ、選挙権があるならば自分の頭でしっかりと考えることが大事です。

住民投票以外でも、例えば地元の議員に働きかけるだとか、署名運動だとかで意見の反映は努力できます。

ちなみに大阪府民としては、大阪市の財政状況を心配する前に、まずは財政健全化団体転落間近の大阪府の財政状況を危惧するべきと考えます。

 

地域行政だけでなく、日本国民としても憲法改正などこれから様々な決断が待ち受けています。

何事も「○○さんがこう言ってたから」「●●●でこう報道されてたから」と情報を鵜呑みにするのではなく、その真偽は自分で精査し考察する。

私が書いている文章はもちろん、善意によるものであれ悪意によるものであれ、マスメディアやインターネットの情報すら疑ってかかる必要があります。

当たり前のことではありますが、忙しい現代人が蔑ろにしがちな行為です。

しかし、それがこれからもっと重要になるでしょう。

中高生時代に情報の授業で習った”メディアリテラシー”というやつですね。

選挙においては、そのうえで投票に行く。

日本の制度において、住民投票や国民投票だけが民主主義ではないのです。

真摯な判断なしに生まれる被害を被るのは、いつだって自分や自分のまわりの大切な人たちです。

 

余談ですが、選挙活動についても少し思うところがあります。

今回、私は大阪にいなかったので実状はわかりませんが、複数の知人によると賛成派も反対派も、特に反対派のほうが住民迷惑になるような選挙活動が多かったようです。

大音量スピーカー、通行の妨げ、電話作戦、大量のチラシ配布、「住民のため」を謳っているにもかかわらず公害さながらの活動は本末転倒と言えます。

選挙活動のあり方も、これから考えていかなければならないことのひとつではないでしょうか。

 

大阪都構想に向けた住民投票記事

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なぜ東京とくらべるの?

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東京都は地方自治体でありながら、日本政府が置かれる首都でもあります。

首都なので人も企業も集まり、税収(住民税、法人税、固定資産税等)が多いのは当然。

実際、東京都は独自の財源で財政をまかなえる都道府県で唯一の地方交付税交付金不交付団体です。

※東京都内の市は普通交付金の交付を受けています。

 

政令指定都市って?記事へ

 

東京都が特別区を実施したのは、戦時中の1943年(昭和18年)。

大阪市を含む五大都市が政令指定都市になったのは、1956年(昭和31年)。

日本の都市化が進むなか政令指定都市が制定される前に首都としていち早く特別区を実施し、東京府から東京都への転換を図った東京。

政令指定都市である地方大都市となり、都市として成熟した状態の大阪。

東京の都政移行と大阪府が都構想を目指すのでは都政の成り立ちの状況が違うため、あくまでひとつのモデルケースとして考えるべきであり、比較対象としてはあまりふさわしくないと感じます。

そもそも、大阪が東京と同等になりたいのであれば道州制における州都として機能することを目指すのが術であり、大阪都政は、道州制の法整備ありきで行うことだと思います。

 

また、制度上は東京都にある市でも政令指定都市を目指せるにも関わらず、東京都には政令指定都市がありません

東京都の人口が特別区に集中していること、特別区を実施する都政とのねじれが生じることから、都からの承認を得るのは難しいということが考えられます。

 

大阪府には現在、政令指定都市は大阪市と堺市の2都市があります。

2010年(平成22年)3月発表された大阪都構想初期の計画では、大阪市24区を8区へ移行、堺市7区を3区へ再編することを中心として、豊中市・吹田市・守口市・八尾市・松原市・大東市・門真市・摂津市・東大阪市の9市をそれぞれ区へ移行することで、合計20区からなる特別区を設置する予定でした。

市における地方税とは主に、市民税の個人住民税、法人住民税、固定資産税、たばこ税、都市計画税等からなりますが、東京23区においては法人住民税、固定資産税、都市計画税等は東京都が徴収するため、23区としての地方税総収入は都に徴収される額を除いた約9491億円となります。

それと同様に、大阪20区の地方税総収入約1兆866億円から法人税、固定資産税、都市計画税等を省くと、合計は約3961億円。

市政に直接遣えた約7000億は、一旦大阪府に徴収されます。

対して、東京都が徴収する、23区における法人住民税・固定資産税等総額は、前大田区議会議員奈須りえさんのBLOGOS記事によると、全体の55%しか23区に配分されず残り45%にあたる約1兆円が都に流れているということから、単純試算で約2兆2000億円もの税収が考えられます。

1兆円規模の税収差を持ってして、尚も大阪を東京と同等に考えようというのは無理がありすぎます。

 

さて、東京23区の人口は約894.5万人と東京都全体人口約1316万人の約68%を占め、都によって徴収された23区の地方税は財政調整制度における再分配によって23区に還元されています。

初期段階の大阪都構想における大阪20区の人口も約564.6万人と大阪府全体人口約886.5万人の約64%となるので、約7000億円が20区に対して東京23区と同規模の還元がされる可能性が高かったと考えられます。

しかし、2013年に行われた堺市長選挙で反維新派であり現職だった竹山氏が再選した事により、堺市は実質的に特別区となることより政令指定都市として残ることを選びました。

その結果、大阪市のみが5区の特別区に再編される設計図を盛り込んだ今回の協定書が作成されることになりました。

現行大阪市の地方税総収入は約6260億円ですが、同じく個人住民税とたばこ税のみの合計収入は約1817億円。

5区からなる特別区になった場合、特別区の人口は約226.5万人。

20区から約340万人という半数以上の人口が減るにも関わらず、大阪府に徴収される額は約4400億円となる、約2600億円しか減りません。

また、人口比も大阪府全体のわずか約30%となり、特別区以外への持ち出しとなる可能性は大いにあります。

持ち出しになっても大阪府全体の活性化の為になればいいのですが、約4400億円の税収、約470億円未満の普通交付金増額、約132億円の財産運用収入では賄えるわけのないほど負債だらけの大阪府

政令指定都市としての財源を失った状態で、東京23区の足元にも及ばない税収で、特別区5区のみで今の大阪府を支えきれるわけがないと思います。

争点「二重行政」「住民自治」記事でも述べたように、大阪市民が市税をつぎ込んで運用し長期的に収入として来た市営事業・市立事業の財産も大阪府の財産と統合されてしまい、大阪府の負債返済のための一時的な収入として売り払われてしまう可能性もあります。

また、特別区を実施する大阪府政と政令指定都市である堺市政のねじれも生じるのではないでしょうか。

 

状況や環境がこんなにも違うので、大阪市を特別区にした状態と東京23区を比較することで見えるのは、明らかな税収の差と人口比の差、財政再生団体になってしまうとされる大阪府と地方交付税交付金不交付団体である東京都との圧倒的な差でしかなく、それらの差を持ってして、大阪都構想によって大阪府が東京都のようになれるという答えは、ありえないと思います。

 

参考:大阪都構想wikipedia
地方税収入額…平成22年度総務省市町村別決算状況調より
人口…平成22年度都道府県・市区町村別統計表(国勢調査)より

※本記事内の数字に関しては、上記データより素人の私自身が算出したものであり、計算間違いなど信憑性に欠けるかと思います。悪しからず。

 

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争点「二重行政」「住民自治」

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今回の住民投票において争点とされているのは、「二重行政」及び「住民自治」だと思います。

大阪都構想サイトにある主張をもとに、この2点について考察したいと思います。

 

「二重行政」とは?

そもそも大阪市は、大阪府からなかば独立した自治体です。

大阪都構想サイトでは、教育・病院・都市開発等について大阪府と大阪市で同じ事業展開を行っていることを、いわゆる二重行政による税金の無駄と指摘しています。

しかし本来、大阪府の財政も大阪市の財政も健全なのであれば、府立学校と市立学校、府立病院と市立病院など住民サービスの選択肢が増え対応度が上がること、市営事業と府営事業で、会計を分けた事業分担ができることから、一概に無駄とは言えないのではないでしょうか。

また、府市それぞれで行ったベイエリア開発双方とも経営破綻したこと、類似施設及び大規模投資開発プロジェクト、いわゆるハコモノ行政で投入された税金額に対し、毎年約300億~400億円の通常収支不足が見込まれているそうですが、これは大阪市にも大阪府にも言えること。

これらは二重行政による無用な競い合いというよりは、バブル経済によるプロジェクトに起因するものという見方もあります。

 

大阪都構想によって住民自治はどう変わる?

大阪都構想サイトでは、「大阪市民268万人の人口に対して大都市大阪はたった1人の代表」「京都府人口263万人、計26市町村に対し26人の市長・町長・村長」「広島県人口285万人、計23市町に対し23人の市長・町長」とし、「選挙があるからこそ、住民の声が役所に反映される」と主張しています。

しかし、日本は議会制民主主義の国。

議会制民主主義において、首長は行政の責任者であって、住民の代表はあくまで議員

よって、比較対象としてそぐわないかと思います。

参考として京都市wikipediaより、政令指定都市である京都市は人口147万人に対し市議会議員67人、1人が21,940人を代表します。

広島市wikipedia広島市議会wikipediaより、同じく政令指定都市である広島市は人口117万人に対し市議会議員55人、1人が21,272人を代表します。

対して、大阪市/大阪市会ページによると大阪市も政令指定都市として現行24区の行政区ごとに人口に比例して割当てられた大阪市議会議員が選出されており、議員定数は条例で86人となっています。

1人が31,162人を代表する計算です。

都道府県議会や政令指定都市の市議会では議員数が多いほど民意の反映を担いますので、大阪市に関しては議員が少ないとも考えられます。

※維新の会は大阪府議会議員定数削減条例を成立させました。

ある程度自由な権限と財源を有する政令指定都市と、ほとんどの事項を府や県にの承認を必要とする政令指定都市以外の市や自治体では、住民自治としての民意の反映度が異なるのです。

よって、自由な権限と財源を失った状態である特別区の区会議員数が多くても、住民自治の反映度は低くなるのではと考えます。

また、個性ある区政運営を選ばれた区長に任せるとしながら、特別区別のマニフェストの存在にも疑問を感じます。

 

以上の点と大阪府の現状と大阪市の現状記事から、大阪都構想によってどういったことが大阪にもたらされるかを考えます。

公債残高の増え続ける大阪府と橋下市政以前より公債残高を確実に減らし続けている大阪市の財政を統合した結果、大阪市の財産である事業やハコモノを現行大阪市民の意見が反映されにくい状態、大阪府の独断で売却(民営化)され、大阪府の公債残高返済へ充てられるのではないでしょうか。

中でも、維新の会が掲げる黒字事業である大阪市営地下鉄の民営化に関しては、大阪市民が市税を費やして培った大阪市の重要な長期収入を手放すことになります。

経済発展のための鉄道網発達という点では、大阪府下全域への地下鉄の拡大にかかる事業投資よりも私鉄やJRの発達している大阪府としての利点を生かし、各鉄道会社と市営地下鉄の線路乗り入れ等で対応することで事業コスト削減を目指せるのではないかと個人的には考えます。

大阪市営地下鉄は大阪市外にも伸びているため現行でも持ち出しになっているとの主張もありますが、大阪市外の住民の方々は利用料としての負担のみ、大阪市民が税金をつぎ込んだ市営地下鉄の収支は黒字、世に言うwin-winの関係が成り立っているので問題はないかと思います。

橋下市政では、大阪市の誇る重要無形文化財である伝統芸能・文楽の文楽協会への補助金打ち切りや、歴史的建造物として価値のあった大阪市立精華小学校を民間に売却、取り壊しの済んだ状態で再開発計画が頓挫するという事象も起きています。

単純な売却や予算カット、新規事業投資ではなく、元からある土地や環境を生かした町づくりを目指すのが本来の地方行政の姿ではないでしょうか。

ちなみに、神戸市は旧北野小学校の校舎を利用して北野★工房のまちという施設を運営、2015年3月には年間来館者数100万人を達成しています。

また、維新の会による人件費削減を大義名分に掲げる財政運営には少し違和感があります。

人件費を削るため、嘱託職員等(公事業におけるアルバイト職員のようなもの)を減らし、公共サービススタッフの民間委託を増やした結果、サービス利用者は公共サービスでありながら従事者に対して公僕としての責任を問えず、サービス従事者の労働環境も悪化していると耳にしたことがあります。

本来ならば公僕としての重大な責任を背負い、住民に代わり職務を果たしてくれている存在である議員・官僚・公務員にかかる人件費は、本当に必要のないものなのでしょうか?

何より、大阪府が大阪市を財産もろとも飲み込んだだけでは大阪府の負債残高を賄えるとは思えませんし、ほかに歳入確保策として何をあげているのかといえば大阪都構想サイトにある広域マニフェストによると、「IRに対する免許へ課税」「パチンコに対する課税」の二策のみであり、その試算もなければ、どちらも国の法整備が必要とのこと。

現状では不可能なことは歳入確保策とは言えないし、そんな状態の政権を信用できるでしょうか。

そもそも、現状のまま公債残高を減らしていきたい大阪市議会に対案として「大阪都構想」なる具体案の見えないものを提案して来たのは維新の会側であり、対案の対案を要求していることも無茶苦茶です。

 

維新の会は、「大阪府と大阪市が同じ方向を見ていなくては大阪の改革はない。維新の会による政権でなくなっても同じ方向を見ていくために、府市統合が必要である」と大阪都構想の意義を主張しています。

しかし私は、都道府県の独断による無茶な財政のせいで多数の人口を抱える大都市が破綻しないような歯止めになるべく、大都市が単独でも運営できることで日本経済を支えられるよう考えられたのが政令指定都市という大都市政策の根本ではないかと思います。

いわゆる二重行政こそ、民主主義における住民自治の砦、大都市政策及び政令指定都市の存在意義なのではないでしょうか。

 

大阪全体をも担う政令指定都市として考えれば、大阪市が大阪府のものとなってしまって共々破綻するよりも大阪市として残り、大阪府財政を支援する道を探るほうが現実的であると私は考えます。

政令指定都市って?記事にあるように、大阪市が一度なくなってしまっては現状復帰は難しく、大阪市が解体されることは大阪全体のためにも避けなければならないのです。

 

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